軽度外傷性脳損傷(M-TBI)による高次脳機能障害2
軽度脳外傷による高次脳機能障害に対する本来の診察手順
医学文献によると、高次脳機能障害特に軽度脳外傷による高次脳機能障害の本来の診察手順は以下のとおりです。
主治医の診察
- 問診
-
- 受傷原因と詳しい状況
- 受傷から最初に診療を受けた医療機関までの状況
- 受診した医療機関と各々の医療機関における診断と治療
- これまでの症状の推移
- これまでの日常生活と社会生活の状況
- 職歴と各職場での勤続年数、転職していればその理由
- 学歴と成績
- 身体所見
- 脳神経系、運動障害、深部腱反射、病的反射、感覚障害、運動失調、言語障害(失語症、構音障害)、多臓器合併損傷の有無、関節可動域
- 認知機能の
スクーリング - 見当識、受傷後健忘(前向性健忘)、逆向性健忘、知的機能:HDS-R、記銘力障害、注意力障害、コミュニケーション障害、人格情動障害
- 画像診断と
臨床検査 - 頭部CTあるいはMRI、X線検査(頭部X線撮影、胸部・腹部X線撮影、脊髄X線撮影)、血液生化学、検尿、脳波、体性感覚誘発電位、磁気刺激誘発電位、SPECTやPET(脳 循環代謝の評価)
臨床心理士による神経心理学的評価
- 知的機能の
評価 - WAIS-R、MMSE、HDS-R
- 記憶障害の
評価 - 『火事の話』直後再生・30分後再生、三宅式記銘力検査、Rey図形の再生、リバーミード行動記憶検査
- 注意/情報処理
障害の評価 - 仮名拾いテスト、PASAT、D-CAT
言語聴覚士による言語機能評価
- 日本語版Western Aphasia Battery(WAB)、会話明瞭度検査、SLTA補助テスト
作業療法士による局所脳損傷による認知障害の評価
- 失行症の評価
- WAIS-R、MMSE、HDS-R
- 失認症の評価
- 物体失認、同時失認、相貌失認、半側視空間無視、地誌的記憶障害、運動無視、触覚失認、半側身体無視
今日の脳外傷に関する臨床の実態
以上のような手順に従い診察してくれる医師ないし医療機関は皆無に近いと言わざるを得ない状態です。その原因は多岐にわたりますが、最も根本的な原因は、大半の医師が2004年のWHOの軽度外傷性脳損傷の診断基準を知らず、受傷後の意識障害がなく画像で異常所見のない場合は、頸椎疾患か非器質性精神障害であり脳外傷ではないと決めうちしてかかる点にあります。
補足1
軽度外傷性脳損傷に詳しい複数の医師によれば、交通外傷患者に対する臨床実態は以下のとおりです。
救急搬送された病院では、昏睡状態に陥っているなど初見で明らかな脳神経学的異常所見が得られる場合以外は、整形外科医が担当医となります。軽度外傷性脳損傷(mild・TBI)であれば、亜急性期から回復期に向かう頃に、徐々に、認知機能障害や人格情動障害の症状が顕現し始める。整形外科医は、自分の専門外ということで脳神経外科医に鑑別診断を依頼する。脳神経外科医は、脳MRI画像だけを見て(脳神経学的所見を一切とらず)異常なしと判断し、精神科医に鑑別診断を依頼する。ところが、精神科医は、その取扱う患者の大半が内因性疾患か心因性疾患であり、外傷性の疾患の臨床経験は少なく苦手意識がつよく、また脳病態生理学に精通している精神科医も少ないことから、SPECTやPETで脳血流の低下が認められないのにうつ病や統合失調症と診断したり、あるいは、事故後の傾眠傾向が顕著で発動性や意欲低下も内省を伴わないアパシー(平板な感情鈍麻)状態であるのに、うつ病や統合失調症と誤診している精神科医が後を絶たない。
補足2
自賠責保険の後遺障害認定スタッフも、近在の「脳神経外科」と謳う医師の診断や診断書の記載内容に対しては極めて懐疑的です。平成19年2日の検討委員会の報告書の中で、自賠責保険が、いかに近在の臨床医の診断や診断書の記載内容を信用していないかを露骨に示す実に興味深い記載がありましたので、抜粋して紹介しておきます。
「今後、関係各方面の協力を得ながら、現在損保料率機構が作成している後遺障害診断書の記載方法などをわかりやすく解説した医療機関向けの解説書を改訂・配布することが必要である。」
「また、将来の課題として、高次脳機能障害の診断・後遺障害診断書の発行を十分な設備と技量を備えた医療機関(仮に「中核医療機関」とする。)に限定することの妥当性の論議を継続すべきものと考える。」
「診断書作成費用の設定方法でインセンティブを与えるなどの方法で、一層充実した診断・後遺障害診断書の発行が促進される態勢を関係諸機関とも連携して検討すべきである。」
「現時点では医療に関する地域差が存在することは現実であり、認定システムの大規模な変更を性急に行うことはできない。したがって、本報告書に記載した事柄の周知・啓発活動が一定の成果を上げた後で、改めて中核医療機関について検討することが穏当と考える。」
「医療機関向けの解説書等の整備を図るとともに、各種学会・講習会等の場で高次脳機能障害の後遺障害等級認定に関する情報提供を行うなど広く啓発活動を行っていくことが望まれる。」
とにかく、異常がないと決めつけて何も検査しようとせず、カルテに愁訴すら記載しない主治医に任せているだけの状態では、裁判所に対して脳外傷による高次脳機能障害を証明することは絶対に出来ません。高次脳機能障害を後に主張立証するには、どうしても被害者のご家族が中心となって精力的に証拠を残しておく必要が生じるのです。
では、どのような証拠を収集する必要があるのでしょうか。
証拠収集
「何か変だ」「以前と様子が違う」と感じたら日から、症状や事件・エピソードを克明に逐一メモしておく(鉄則3)
これが基本であり、出発点です。そのメモがなければ、そもそも脳損傷だったのか、脳外傷だったとして高次脳機能障害に関する症状があったのか否か、あったとして何時頃から発症したのかが確認できないことになります。主治医のカルテには症状経過についての詳細な記載がないのが通常だからです。上手く表現できないときは、ネットや文献で脳損傷や高次脳機能障害の典型的な症状を学習され、被害者がそれに当てはまるか否かを検討すれば、なるほど思うところが多いかと思われます。
メモした症状経過を時系列表にまとめてカルテに綴じてもらうよう主治医に依頼(鉄則4)
これは何も記載されていないカルテに、被害者の症状経過を補充するものとして、また主治医の高次脳機能障害に向けての診察の発動を促す手段として極めて有力です。
最低でも脳神経損傷の神経学的所見と神経心理学的検査所見、出来ればSPECTかPET、さら に理想を言えば脳拡散テンソルMRI所見(トラクト・グラフィー)を得ておく。(鉄則6)
これは何も記載されていないカルテに、被害者の症状経過を補充するものとして、また主治医の高次脳機能障害に向けての診察の発動を促す手段として極めて有力です。
脳神経損傷を裏付ける神経学的所見
脳神経が損傷されると、頭痛、味覚・嗅覚障害、視野狭窄や複視(二重視野ぼけ)、眩暈、耳鳴り、難聴、音や 光に対する過敏性、神経因性膀胱(尿意は感じるが排尿できない、突発的に尿意を感じ間に合わず失禁する、残尿感がある)、発作的に生じる疼痛・痙攣・振 戦・頻脈・脱力、体温調整障害(異常に汗をかく)、運動麻痺、知覚麻痺、巧緻運動障害(箸が上手く扱えない)、などの症状が顕現することがあります。その場合は、ご家族の方が主治医に愁訴され、神経学的検査をしてもらうよう依頼して下さい。
※もっとも主治医に依頼しても、頸椎捻挫だからそのうち治る(特に頭痛、複視、耳鳴りの場合)、気のせいだ(特に耳鳴り、音や光に対する過敏性の場 合)、歳のせいだ(特に二重視野ぼけ、運動麻痺、巧緻機能障害、神経因性膀胱の場合)、とか言って相手にされない場合が多いと思います。たしかに、軽度外傷性脳損傷は、その大半が3カ月ないし6カ月で自然治癒するのは事実ですし、また、各種検査を実施しても脳内の責任病巣をピンポイントで特定することは困難です。例えば排尿障害の場合、手間隙かけてありとあらゆる検査を実施しなければなりませんが、それだけしても「どうやら前頭葉機能に問題がありそうだ」といった推察レベルでしか原因が判明しません。そうなると診療報酬制度に絡む病院の経済効率の問題もあって、医師は検査に消極的です。しかし、被害者の家族にとって困るのは、軽度外傷性脳損傷の1割~2割は慢性化し、かつその大半が高次脳機能障害に罹患し大きな損害を被ることになるのにそれを立証する医学的資料が全くないということです。3か月経過しても、前記の症状が軽快せず、むしろ高次脳機能障害の症状が悪化している場合は、高次脳機能障害自立支援普及事業・地域ネットワークに所属している医療機関等を通じて、是非とも検査所見を得ておいて下さい。
神経心理学的検査
この検査は、認知機能のスクリーニングをするもので、認知リハビリの前提としても、また高次脳機能障害を証明する資料としても有力です。主なテストを一覧表にしてまとめましたので参考にして下さい。
SPECT及びPET
いずれも脳内の血流量を測定するもので、びまん性脳損傷で精神症状及び記憶障害のある患者の慢性期の脳循環代謝において、側頭葉、前頭葉の脳血流や脳の代謝の低下が報告されていることから、少なくとも、脳の機能的低下の客観的所見となりえます。
これまでSPECTの方が簡便なため多用されてきましたが、今日では、より解析度の高いPETにとって変わられつつあります。但し、SPECTもPETも 高価(3億円が売価の相場らしです)、それを置いている医療機関はごく僅かのようです。また、正確に判読できる医師も限定されるようです。
※SPECTやPETは、うつ病や統合失調症でも脳血流の低下が所見されることから脳外傷による高次脳機能障害の鑑別診断方法として有益でないとの意見があります。しかし、そのような 意見は画像所見を主たる鑑別方法とする皮相な見解であるように思われます。例えば、うつ病か、それとも脳外傷による高次脳機能障害の症状である発動性ない し意欲の低下なのかは、初期症状や内省を伴う心理状態である否かによっても鑑別可能です。ですから、そのような鑑別方法でうつ病ではないと診断したうえでPETで脳血流の低下が所見されたときは、脳外傷による高次脳機能障害の有力な証拠となり得ます。
脳拡散テンソルMRI(トラクト・グラフィー)
これは脳神経線維を可視化させ、映し出された脳神経線維の状態から脳神経疾患の責任病巣を突き止めようとする画期的なものです。ただ、医療機関での普及率が低く、病理と生理の定量化がされておらず、画像だけで器質的病変の程度までがわかるものではありません。しかしながら、脳のどの部位の神経線維に病変があるかがわかるだけでも有益な証拠資料になると思われます。
主治医が画像だけで判断するタイプの場合は、高次脳機能障害自立支援普及事業・地域ネットワークに所属している医療機関に転院し、各種神経心理学的テストを受け、認知機能のスクリーニングをする。(鉄則7)
事故から3か月ないし6か月経過しても脳損傷や高次脳機能障害を疑う症状が残存しているのにまともに話しを聴こうとしない医師、頸椎MRIだけをオーダーする医師、脳MRIをオーダーするも、それだけで判断する医師であれば早々に見切りをつけ、高次脳機能障害自立支援普及事業・地域ネットワークに所属している医療機関に転院するのが妥当でしょう。
自宅近郊にそのような病院がある場合は、脳神経外科医、神経内科医、神経眼科医、神経耳鼻科、整形外科医、精神科医の鑑別診断と治療、医療ソーシャルワーカー等によるアドバイス、慢性期における高次脳機能障害の確定診断と認知リハビリ、カウンセラー等によるご家族のメンタル相談を受けることが期待できます。もっとも、支援ネットワークの充実度の地域格差が激しく、また実力も熱意もないのに経営上の動機だけで支援ネットワークに所属していることを宣伝している中規模の病院が一部混在していることも事実です。
信頼できないと感じたときは、直ちに転院して下さい。とにかく最後まで諦めないことです。
最終の詰めの作業として「自賠責保険で適正な等級認定を受けるポイント」で指摘した事項に注意して証拠収集する。
特に、症状経過の時系列表や、ご家族や職場の同僚の陳述書は、かなりの具体性が要求されるものになります。
日々、まめにメモしておくことは必定です。