第6 裁判上の問題点及び留意点
1 因果関係 〜RSDは通常の因果の経過(臨床経過)を辿らない 〜
RSDの裁判で、ときに、加害者側から、
「このような軽微な事故と受傷内容から、そのような重篤な障害が生じるとは考えられない。通常ではない。」
「あらゆる障害は、時の経過とともに暫時軽快していくのに、本件では逆に悪化している。通常ではない。」
「受傷後、相当期間経過してから初めて発症した。」
「受傷部位とは全く関係ない部位に痛みが生じている」
「受傷した部位あるいは受傷した部位の近位にある神経支配領域と全く関係のない部位に神経症状が発生している」
等を理由として、事故と症状との因果関係を否定する主張がなされる場合があります。
しかし、前記のとおり、RSDは、原因となった受傷の内容と全く不釣り合い な強烈な自発痛が、本来であれば治癒しているか遅くとも軽快していくはずの時期に、神経支配領域を完全に無視して発症する、すなわち、通常の交通外傷とは 全く異なる症状経過を辿る点に最大の特徴があり、その特異性があったからこそRSDだ、とされているのです。
前記加害者側の因果関係否定の主張は、理由がないに止まらず、かえって、被害者がRSDに罹患していることを認めてしまっているという皮肉な結果になっています。
2 RSDと素因減額は必然の関係にはない
(1)必ず争点とされる
裁判実務上、RSDと素因減額は不可分一体のものとして審理されているのが現状であり、RSDでの裁判では必ず素因減額の有無とその割合が大きな争点となります。
(2)裁判例の概観
高取真理子裁判官の判例分析によると、平成17年1月20日までにRSDを肯定した裁判例12例(否定例は8例)のうち
- 素因減額を否定した裁判例は 3例
- 素因減額を肯定した裁判例は 9例
肯定例のうち、5割減額が1例、6.5割減額が1例、その余の例が2割〜3割減額としているようです。
(3)それぞれの根拠
素因減額を否定した裁判例の根拠
- RSDの発生原因として、患者本人の体質的素因や精神的素因が関与する場合があることは一般論として否定しないが、本件では、その証拠がない、
- 本人が精神的に不安定な状態にあることは否定しないが、それはRSDという堪え難い痛みが原因で精神不安の状態になったのであり、精神的に不安定だからRSDとなったという証拠がない
というものです。
素因減額を肯定した裁判例の根拠
- 特に理由を示さず「被害者の心因的要素が寄与していると認められる」としたもの、
- 「(受傷内容からすると)通常であればもっと短期間で症状固定に至っていたはずである」としたもの、
- 「原告の愁訴が多い」
- 「RSDの病因は、もともと本人の体質的・心因的素因が影響しているものだから」ということを根拠としたものがあります。
(4)素因減額を肯定した裁判例の検討
まず、1.の「特に理由を示さず『被害者の心因的要素が寄与していると認められる』」とした裁判例は、全くの論外であって、論評するに値しません。
次に、2.の「(受傷内容からすると)通常であればもっと短期間で症状固定に至っていたはずである」とした裁判例は、RSDの特質が「原因となった受傷の 内容と全く不釣り合いな強烈な自発痛が、本来であれば治癒しているか遅くとも軽快していくはずの時期に、神経支配領域を完全に無視して発症する」点にある ことを完全に失念している点において、減額の根拠になっていません。
3.の「原告の愁訴が多い」との裁判例は、微妙です。愁訴の内容が多岐にわたる不定愁訴の部類に属するのであれば、素因減額の対象となる可能性は否定出来 ませんが、愁訴の部位が多岐にわたっていても、愁訴の内容が一貫しているときは、それがRSDの特質のうちのひとつですから、減額の根拠とはなり難いと思 われます。
最も、評価が難しいのは、4.の「RSDの病因は、もともと本人の体質的・心因的素因が影響しているものだから」を根拠とする判例です。これについては、別項で独立して検討します。
3 問題提起とその答え
「RSDの病因は、もともと本人の体質的・心因的素因が影響しているものだから必然的に素因減額される」との命題は正しいのか。
たしかに、RSDは交通外傷のうち稀にしか発症しないものであって、実際に、RSDの発症の原因として、本人の体質的、精神的素因があることを明言している専門医もいらっしゃることからすると、この命題は説得力があります。
RSDの専門医である川崎市立病院・整形外科部長である堀内行雄医師は、その著書で、素因肯定説は以下のように説明していると紹介しておられます(堀内医師自身は、必ずしも肯定説に与しているわけではないようです)。
「RSD患者にはRSD患者になりやすい遺伝的な2つの素因があるといわれている。その一つは発汗亢進、手足の冷えや血流障害、赤面などが存在し、既往として失神や偏頭痛がみられるなど、交感神経活動が活発な体質であることである。もう一つ精神的素因である。この証明は必ずしも容易ではなく、かつ常に存在するものでもない。しかし、RSD患者は、依存的な性格であり、訴えが多く、恐怖や疑惑に満ちており情緒不安定であることが多い。これらの患者は痛みに対するる感受性が高く、通常では我慢できる痛みに対しても耐えることが出来ないと訴える程である。」
しかしながら、RSDにおいて素因減額が問題となって実際上も減額される場合があること自体は否定しませんが、RSDであれば素因減額は必然だとまでは言えないと考えるのが相当でしょう。
第1に、そもそも、発汗亢進、赤面、手足の冷えや血流障害などの交感神経活動が活発な体質が素因であるとするのは完全に間違ってます。
最高裁は、いわゆる“首長判決”において「被害者が通常の体質と異なる身体的特徴を有していたとしても、それが疾患に当たらない場合には」素因減額の対象としないと判示していますが、汗かきで赤ら顔の人は、新陳代謝が良く基礎体温が高い結果であって、そうであるならそれは疾患ではなく、むしろ健康体というべきでしょう。
また、手足の冷えや血流障害のあることが、直ちに疾患とまで言えるのかについては疑問です。女性は程度の差こそあれ冷え性の方が多いようですし、実際上もそのこと故に通院治療している人もいないでしょう。
第2は、素因の存在の主張立証責任は、加害者側にあって、加害者側において、現在の重篤な症状が被害者本人の精神的な素因が関与していることを立証しないといけないのですが、その立証は容易ではなく、安易に認定出来るはずがないという点です。
被害者が、もともと依存的な性格であって情緒不安定な状態であったということは、事故前から精神科で通院加療していたことでも判明しない限り、認定できるものでもありません。
また、仮に、被害者の愁訴が多く、恐怖や疑惑に満ちていて、現在情緒不安定の状態にあるということが立証されたとしても、それによって直ちに素因減額の結 論が導かれるものではありません。RSDならば尋常でない耐え難い強烈な痛みが有効な治療方法がないまま数年間継続します。そうなれば、通常の人でも、愁 訴も多くなり、恐怖や疑惑に満ち、情緒不安定になるのが普通でしょう。すなわち、その人の人格がRSDを発症させたのではなく、RSDがその人の人格を変えたのです。そうであるなら精神的素因とは言えません。
実際、専門医も、被害者本人の精神的な素因が関与していることの立証が容易でないことや、また常に精神的素因が関与しているわけでないことを認めています。精神的素因が常に関与しているわけではないが、本件だけは関与していたのだと、その発生機序を医学的に証明するのは極めて困難だと思われます。
以上のことから、精神的要因の関与を安易に考えるべきではないと明言されている専門医もいます。
このように素因関与の認定にかなりの困難を伴う以上、必然的に減額されるといは言えません。
むしろ、よほど明確な証拠がない以上減額されることはない、と表現するほうが立証法則に忠実な表現となるでしょう。
このようにみてきますと、RSDにおいては
- 被害者が、本件事故前から不安神経症、病的依存症、病的猜疑心、などに罹患していて、現に、精神科等に通院加療している
- かつその精神的な因子が、本件RSDの発症に寄与したというその医学的機序が証明された
といった例外的な場合でない限り、素因減額されないのが原則となる、というのが正しいと思われます。
少なくとも、RSDと素因減額は不可分一体のものであり、必ず素因減額されるべきもの、という安易な認定傾向は改められるべきです。